飛騨高山へUターンすると決めたときに考えた6つのこと

早いもので2024年を以て関東から地元の飛騨高山へUターンをして10年の月日が経ちます。大学へ上京して以来、関東に住んでいたときは様々な葛藤があって、考えに考えた結果Uターンを決めたわけですが、なぜ地元の飛騨高山へUターンすることになったのか、当時の気持ちを顧みて6つ視点からまとめてみました。

飛騨高山は修学旅行生や外国人観光客が多い人気の観光都市

①仕事のこと

2008年にフリーランスになって以降、自宅もしくは原宿でオフィスシェアをしてウェブサイトやデザイン制作の仕事をしていましたが、ウェブサイトの制作はデータでのやり取りが基本で、リアル対面が必要なのは打ち合わせのときぐらい。関東にずっといなくても仕事はできるのではないかと常日頃考えていました。

実際Uターンをしてからは、遠くに住んでいるという地理的な心配をさせないよう、いつも以上に迅速な対応を心がけたこともあり、やり取りや作業については問題なく対応できました。最近ではコロナ禍を経てリモートワークやオンライン会議が当たり前となっているので、出張の機会が激減してしまい、逆に寂しさを感じるくらいです。何がともあれ引き続きお付き合いいただいているお客様や取引先に感謝しかないです。ありがとうございます。

また実家の両親が営む伝統工芸業(飛騨春慶塗)については、また別の機会に考えや経緯などをまとめたいと思います。

②お金のこと

20代の頃はお金のことは気にすること無く生活をしていましたが、年齢を重ねていくとそうはいかなってきました。30歳ぐらいのとき、興味本位でネット証券会社に口座を作って資産運用を始めた時期だったこともあり、この先の人生でちゃんと生活していけるのだろうかを真面目に計算をして考えてみました。

関東に住んでいると高い家賃を払って、シェアオフィス代も払って、電車に乗るたびに交通費もかかります。休日遊びに行けば物欲で買い物をしてしまう。地方に比べるとあらゆる面でお金がかかります。
当時共働きで、お金に困っていた訳では無いですが、今後家を買ったり、子どもが生まれて成長をしていく過程で、苦しい時期が来ると予想をしました。(実際関東で暮らす地方出身の友人もいるので、その時はその時でなんとかするはずなのですが、自分の性格上お金の面ではゆとりが欲しいと考えていました)
実際Uターンをする前と後では、お金の不安はかなり解消されました。いやホント関東にいたときはお金かかってたなと思いますね。

③車のこと

大学生のときに成り行きで何となく普通自動車運転免許を取得したものの、電車の交通網が発達している関東では当然のように車を持つことはなく、帰省しても親の車に乗る機会も無く、趣味・関心としても車というものに興味がないまま、かすり傷ひとつ無いゴールド免許が財布に入っていました。運転免許証なんて身分証明書としての用途がない。実際そういう人は多いのではないでしょうか。

転機というか気持ちの変化があったのは、毎年大型連休に車で関東へ遊びに来てくれた地元の友人の存在。滞在中は車でいろんな場所へ連れ出してくれました。車があれば、最寄り駅まで向かう必要が無く、好きなタイミング出発でき、目的地までドアtoドア、さらにプライベート空間を維持したまま移動できる便利さを実感します。
このまま車を運転せずに人生が終わるのはもったいない。車を運転したい。なぜかそういう気持ちになりました。地方で暮らすとなると車は必須ということで、近くの自動車学校の初心者講習に通い失われた感覚を取り戻しました。今ではドライブを楽しんでいるし、特に子どもが生まれてからは車があって良かったと心底思っています。

カラーに一目惚れした人生初のマイカー「トヨタ ヴィッツ」

④家のこと

最後に住んだのは2LDKの賃貸マンションでしたが、部屋が狭く、キッチンや水廻りの設備も古いままで満足していませんでした。夫婦でインテリアにはこだわりがあるのにも関わらず、これ以上どうしようもできないし、物を買っても収納する場所もないのが悩みでした。いつまでここに住むつもりだったのか今でも分からないですが、世間的には30代になると、家を「買う」か「貸りる」のか、買うなら「戸建て」か「マンション」かという話になってきます。

Uターンするとした場合、どこに住むのかは非常に重要ですが、たまたま父親から、実家の近所に祖父母が別荘として使っていた空き家があるので、リフォームしてはどうかと提案がありました。しかも都会からのUターン者には補助金が出ると。いかにも古い昭和な家でしたが、体裁を整えてモダンな家に改装することができました。予算の関係や、景観保全地域ということもあり、リフォームしたのは内装だけですが、キッチンや水廻りが最新の設備となり大満足。再びインテリアのほうにも力が入り、引っ越しで断捨離した以上のモノが増えていっています。

戸建ての4LDKになりインテリアを楽しめるようになった

⑤両親のこと

親が病を患ってしまい介護のため故郷に戻ることになったという話は、よく聞く話ではないでしょうか。多くの場合、我々が30〜40代ぐらいから、元気だった親が何かしら調子が悪くなり始める時期で、我が父親もある日突然入院することになってしまいました。

幸い現在は回復して普段通りの生活を送っていますが、離れて暮らしていると、いつ何が起こるか分からず、変化も分からない。同居まではいかなくても、近くにいるだけでも親孝行になるのではないかと考えるようになりました。しかしながらUターンをすることになれば逆に義理の両親が遠くなってしまいます。バランスを取るために年に数回は必ず帰省をする、そして飛騨高山にも旅行気分で気軽に遊びに来てもらうことにしました。離れて暮らしていると、元気な親に会える回数も限られてくるので、後悔が無いようにしたいと考えています。

⑥子どものこと

結婚はしたものの、子どものことはノープランのまま過ごしていました。家のことやお金のことにも関わってきますが、都会での育児はとても大変です。当時保育園の待機児童が大きな社会問題となっていた時期で、二駅先の保育園に子どもを預けるとか、多額の保育料を工面するとか、自分には難しいだろうなと考えていて、正直逃げていた部分もあります。

幸い地元では待機児童は無問題で、保育園に入れないなんてことはまずあり得ません。しかも徒歩5分のところに自分が通った保育園があります。両親や親戚も近所に住んでいるし、子育てがしやすい環境と言えます。と考えているうちにめでたく娘が誕生。日々周りに助けてもらいながら、ゆとりを持って育児を行っています。

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以上6つの視点からまとめてみました。まず、何がともあれ全然違う土地に住むことを受け入れてくれた妻や義両親に感謝。人それぞれ様々な境遇や考え方はあると思いますが、コロナ禍でリモートワーク等によりUターンをした方や、現在Uターンを考えている都会在住の地方出身者にとって、何かの参考になれば幸いです。

ただし飛騨高山へのUターン生活がユートピアというわけではないです。地元暮らしはまた別の悩みが出てきます。実際の生活については別記事「地元民が伝える飛騨高山生活のリアル」にまとめたのでご覧いただきたい。